2021年3月9日火曜日

【 東日本大震災から10年❗️】〜 何かを学んだだろうか❓〜

【 東日本大震災から10年❗️】〜 何かを学んだだろうか❓
2011年3月11日、この日は大阪の[みのやホール]でライブをしていました。その16年前には阪神淡路大震災を経験していました。遠くない将来に〈東海、東南海、南海地震〉(今では南海トラフ地震)が起こるとの予測もあり、生きているうちにいつか大津波が日本を襲うと言う事は頭の中では準備をしていたつもりでしたが、それを遥かに超える信じがたい風景でした。震災から3ヶ月を迎える頃に初めて被災地に足を運びました。その後の原発事故もあり、東京、埼玉のライブの後、最初に被災された方とお会いしたのは6月14日、加須市に避難された双葉町の方々でした。夜は鎌倉でのライブに一旦戻り、次の15日にいわき市の湯本温泉に避難された広野町の方を訪ねました。その後、相馬市に入り初めて津波で被害を受けた風景を目にし、その被害の大きさに愕然とし人生観が変わるほどの衝撃を受けました。一面町がすっかりないのです。車も船もビルに引っかかっています。流された家も手付かずです。それから浪江町の方が避難されていた土湯温泉へ。16日一関、江差、17日に遠野、18日まだまだ瓦礫を取り除いただけのガタガタの道を田老、宮古、大槌、釜石、気仙沼、陸前高田、南三陸、19日石巻、東松島、20日東松島、女川… ほとんどのところでついたても仕切りさえない着の身着のままの避難所生活です。その片隅で歌を届けました。肩を震わせ涙を流す方、滔々とお話をされる方… それから幾度となく最初は避難所、徐々に仮設住宅、復興公営住宅、20回ほど被災地を訪れ、行くたびに少しずつ災害の爪痕が取り除かれ、海岸や街の形が変わり復興の歩みを眺めてきました。何度もお会いする人は親戚のような、昔からの友人のような関係にもなりました。そんな中、2016年熊本地震が起こり、ふるさとへの応援が増えたため、東北へ行く機会も少なくなりました。少しづつ明るい兆しが見えて来たと感じていた矢先にこのコロナ禍です。お世話になった旅館や民宿、飲食関係が大変な打撃です。復興が進む一方、日の当たらない取り残されている方もずいぶんいらっしゃいます。未だ行方不明の方も2500人以上いらっしゃいます。10年経ったといっても止まったままのものもあります。思い出したくないもの、忘れたいこともたくさんありますが、伝えなくてはいけないこと、忘れてはいけないこともあります。この経験を未来に生かすこと。次の自然災害での被害を少しでも抑えること。大切な命を守ること、全ての人の人生を大切に思うこと…  そして、僕自身は何ができただろう…  ちゃんと生きてきただろうか… とこの10年を振り返っています。