【 球磨川大水害から一歩一歩の復興 】 〜 明るい笑顔が救いです❗️〜
2020年7月4日球磨川流域を襲った大水害から3年4ヶ月が過ぎました。あれから何度か訪れるたび少しづつ復興が進み、街が元気になっています。2016年4月14日,16日の熊本地震以降も日本各地で大きな自然災害が毎年のように起こり、忘れさられているようで気がかりです。JR肥薩線の八代〜吉松間は復旧のめどさえ立ってなくて、人吉へのアクセスは大変不便です。再びの川辺川のダムの建設や湧水池を新たに作ると言うこと、代替地や新たな住宅の建設などで被災された流域の皆さんの心はまだまだ揺れています。街の中の空き家や空き地も目立っています。お付き合いの深かった[鍋屋本館]や[しらさぎ荘]など立派に再建した旅館や市内飲食店などもかつての賑わいを取り戻すにはまだまだ時間がかかりそうです。[青井阿蘇神社]は見事に蘇り、境内には[隈研吾]さん設計の[青井の杜国宝記念館]が10日に開館しました。
今回はそのお隣の山江村にお邪魔して、雰囲気のある洋風の旧山江村役場をそのまま生かした[時代の駅むらやくば]で復興応援のコンサートでした。ここには、2007年に[神山征二郎監督]が制作された[北辰斜めに差すところ]の映画試写会の際、同じ監督作品の“荘川桜”の物語を映画にした[さくら]も同時に上映された時に初めて訪れ、コンサートして[てんごの夢]を歌い、元山江村小学校のグランドに監督と一緒に“実生の荘川桜”の苗を植えました。その桜が成長し毎年見事にきれいな花を咲かせているそうです。でも、そのグラウンドの一角には、仮設住宅が並んでいました。元の家に帰れない人、再建のめどが立たない人など、県内で未だ仮設住宅に住んでいる人が1100人以上いると聞いて驚きでした。コンサートが終わってから、“むらやくば”の皆さんの計らいで、交流会の中で僕の誕生祝いまでしてくださり、手作りのバースデイケーキまで用意していただき、花束の代わりにとてもきれいで立派な野菜を抱えきれないほどいただきました。村役場の皆さん、わざわざおいでいただいた地元の皆さん、被災された方々、本当にありがとうございました。いろいろと大変お世話になりました。音響の“ドンツサウンド”の佐藤クン、いつも心地よい音を作ってくれてありがとう。前日の9日には人吉市出身の音楽家[犬童球渓]の“碑前祭”が行われ、91才になられた直系の孫にあたる僕の高校時代の恩師[鶴上寛治]先生も、変わらずの若々しい美声で〈旅愁〉を歌われました。10日の日は、[人吉高校]の創立100周年記念と言うことで、全国から卒業生が集まり、[ウッチャン]俳優の[中原丈雄]さん、僕の作った『ふるさとは心の中に』や『帰らんちゃよか』を歌ってくれてる[塚原哲平]くんも参加して大盛り上がりだったそうです。まぁ、この3日ほどは、人吉ではひととき災害を忘れ、懐かしい再会などで、楽しく大いににぎわったことでしょう。僕はと言えば、その後山江村にある温泉センター“蛍の宿”に宿泊して、ゆっくり露天風呂につかり、旅の疲れを癒したのでありました。“ひとよし”は、お湯よし、酒よし、お“ひとよし”❗️ 15日間の楽しい九州の旅でした。