石巻から南三陸へ
あの震災直後、避難所になった石巻の小学校の、元校長先生の家にお世話になった。玉名高校の4つ先輩だ。
雨の中、南三陸町へと向かう。途中の復興の土木工事も大変そうだ。とにかくダンプカーが多い。街作りや住宅建設も時間がかかりそうだ。注目を集めた、防災庁舎。壊すか、残すか苦しい選択だ。どちらも悲しい。
2012.3.14に訪れた“わいわい商店街“も少しずつ店舗は増えてる気がするが、お客さんはなかなか増えないそうだ。懐かしいお店の方と言葉を交わす。復興商店街も、回りの人口は増えない、訪れる人も減っては維持して行くのも大変だ。
夕方、懐かしいニュー泊崎荘に到着。二年前、姉と一緒に泊まらせてもらった。
昨年は、女将さんが手配してくれ、入谷の仮設住宅でコンサート。そして三度目の今年は、この旅館の宴会場を開放してくれ、未だに仮設に暮らす親戚、ご近所の知人に声をかけてくれた。この愛嬌のある美人女将は僕と同い年。そのお母さんは元ミス宮城。きれいな二人の娘とかわいい孫たち。昨年会った方たち。
コンサートのあとは、美味しい海の幸とご馳走で大宴会。カラオケも飛び出し、おばあちゃんから二才の子供まで交流を楽しんだ。みんないい人。明るい。辛い経験を一杯して来てらっしゃる筈なのに、生き抜く力が素晴らしい。ありがとうございました。ご馳走になり、おもてなしを頂き、希望の宝物の子供たちとも遊び歌いました。お土産に、取れたてのわかめを頂きました。女将と「ありがとう」を歌いました。うまい!凄い!どうしてお礼ができるだろう…