2017年2月2日木曜日

【 如月の凪の故郷を走る❗️ 】

【 如月の凪の故郷を走る❗️〜 小代山の上か下か‥有明海は浅いだか深いだか...
穏やかな弥生3月を思わせる陽気に誘われて、今日は久しぶりに海岸線を四ツ山の神社を目指して走ってみました。小さい頃大好きだった鹿児島本線のガードの上から四ツ山を望みます。もうここには海に向かって新しい道ができかかっています。小さい頃はこの磯山の海岸でよく泳いだものでした。南荒尾の駅の北側には[荒尾海水浴場]があり夏には大変な賑わいでした。花火も上がっていました。日焼けコンテスト(昔は違う言い方でしたな)で3位をとったことがありました。長く続く堤防の外側に新しい堤防が建設されています。1.3メートルほどの高さの今までの堤防の上に、50~70センチほどさらに堤防がかさ上げされています。そこでは堤防から海が全く見えません。東日本の防潮堤が海を遮っていたのを思い出します。どうゆう理由でこうなっているのかわかりません。沿岸道路はこの辺を走る計画です。
「海が見えなくなるのは寂しいなぁ〜」2011年12月に閉鎖された海の見える絶景の[荒尾競馬場]跡は、スタンドもトラックも建物もそのまま。もう主を失った騎手の住宅の前には、熊本地震で取り壊された家屋の瓦礫が高く積み上げられていました。この辺はいい釣り場で、今日も低いままの古い堤防のあたりで、のんびりとボラ釣りを楽しんでいました。







先日、荒尾・岱志高校の生徒たちが手入れをしてくれた[バラ園]を通り、旧[荒尾第二中学校]の横を抜けると[四山神社]の大鳥居が見えてきます。もうすぐ2月13日の春の大祭[こくんぞさん]が開かれ、この辺には多くの出店が並びます。






「さぁ、久しぶりに297段の石段を山頂まで一気に登ってみるか!」時々、旧[荒尾第1中学校]の野球部の練習で、ここまで走りに来たものでした。




【 四ツ山に四つの足跡】を残すことが出来ました。
1.岐阜“荘川桜”を植樹 2007年 6月2日

















2.海達公子の“櫻”の歌碑 2014年 8月8日

3.祖父小代武春の石碑の建立 2017年 1月26日






















4.四山神社の灯篭の建立 2017年 1月26日

帰りはかつての繁華街西原から大正町を通り[荒尾駅]。



[宮崎兄弟生家]に立ち寄り、母校の旧荒尾第一中学校(現在は旧第二中学校と統合し[海陽中学校])へ。生徒数500人弱。なんと2年前からラグビー部ができて、野球部(昨年は県でベスト4に入った)の隣で、一生懸命練習をしていました。



校舎の間に夕日が沈む… 学校はいつきてもいいなぁ〜… 夢と希望と未来がある… あれから50年かあ〜。

荒尾を二分している〈市長選挙が2月5日〉に投票日を迎える。子供たちが胸を張って『僕の故郷だ!』と話せるような町を作るのは大人の責任です。